ハイフンという問題:国際結婚で生まれた子どもたちとアイデンティティ

ネリア・バルゴア / Nelia G. Balgoa 1(フィリピン)

国立ミンダナオ大学イリガン工科校 准教授 / 2013年度ALFPフェロー

私が16歳のタケシと初めて会ったのは、博士論文のためにデータを集めていた2010年、大阪の小さなカフェで彼の母親と祖母にインタビューしたときだった。母親も祖母もフィリピン人で、以前はエンターテイナーとして働いていた。タケシは物静かな少年で、恥ずかしそうに「アドボ」(酢とニンニクとしょうゆで煮込んだ典型的な「フィリピン」フード)が大好きで、毎週日曜日に近所のカトリック教会にミサを聞きに行くと話してくれた。20歳になったらタケシは国籍を日本からフィリピンに変更するかもしれないと、母親のリンダは誇らしげに語った。

ケンジのフィリピン人の母親、チョナとは、名古屋のカトリック教会が催したバイブルキャンプで知り合った。ケンジは、フィリピン人の血が流れていることに対する否定的な感情を隠そうともしなかった。クラスメートたちは、ケンジの母親がフィリピン人だと知ると彼をいじめた。親戚たちが日本からのお土産を要求するので、ケンジはフィリピンに行くのも好きではない。だがフィリピン人の母親と結び付けている教会に、毎週日曜日行くことには肯定的だ。

タケシもケンジもフィリピン人女性と日本人男性との結婚で生まれた子どもであり、こうした、国籍あるいは出身民族が異なる配偶者間の結びつきを国際結婚と呼ぶ。しかし、タケシとケンジの両親の結婚は国際移住の結果である。具体的には彼女たちフィリピン人女性が日本でエンターテイナーの仕事を探すために国境を越え、最終的に日本人男性と結婚したのである。従って、国際移住という文脈において国際結婚とは、夫婦の社会人口学的な相違点や、夫婦という結びつきの法的側面だけを意味するものではない。加えて、社会学者のアスンシオン・フレズノーザ=フロットとグウェノーラ・リコルドが言う「夫婦の家族形成プロセス、社会生活、センスメイキング(意味づけ)、戦略を方向づける、多様な移住、市民権、家族政策を掲げる国民国家間のダイナミックな相互作用」2 を大局的に捉えるものでもある。

家族形成とそのプロセスは、国際結婚の最も複雑で繊細な変遷過程を表している。文化の違いにより必然的にあつれきが生まれるため、文化的接触が起きたり、アイデンティティの形成あるいは再構築が行われたりする空間の交渉や主張、駆け引き、譲歩が必要になる。子どもの養育はこれらの最も影響力のある空間の一つであり、タケシとケンジは同時に二つの異なる文化に属するという複雑な背景を持つため、結果として相反する感情を同時に抱くことやアイデンティティの変動が起きる。「複数の伝統を受け継いだ子ども」、「異文化間に生まれた子ども」、「国際結婚で生まれた子ども」など、タケシやケンジの境遇は、さまざまな学術用語で表現されているが、日本には、「ハーフ」、「ダブル」、「混血児」など、彼らに向けた蔑称もある。彼らをFilipino-Japanese(フィリピーノ・ジャパニーズ)あるいはJapanese-Filipino(ジャパニーズ・フィリピーノ)と呼ぶとき、言語学的にみれば、このハイフン「-」は、二分する2つの民族集団の間にアイデンティティがきれいに確立されていることを示している。しかしケンジとタケシの例から、それが真実でないことが分かる。

国際結婚と家族形成、特にフィリピン人と日本人の間の結婚と家族形成に関する私の研究から、移住者が、受け入れ国で生活する上で直面する困難に立ち向かい、克服する過程は、もはや同化プロセスで説明できないことが分かっている。グローバル化が進み、情報へのアクセスが容易になったことから、移住が持つ追放の意味合いは多少なりとも弱まっている。トランスナショナリズムにより、政治的か文化的かにかかわらず、受け入れ国だけでなく出身国でも移住者が絆を結ぶことができるようになり、その結果「ホーム(ふるさと)」という概念が多層化した。今や疎外感にはいくつかの側面があり、孤立や帰属意識の欠如だけでなく、かつてはなじみがあり意味を持っていたアイデンティティのシンボル同士の関係が分断され、途切れてしまったという、予想だにしない現実を突きつけられるのもその一つである。この過程で、移住者はアイデンティティを再構築し、シンボルの意味について交渉し、分裂の意味合いを理解する空間を探す。文化研究者のホミ・バーバ3 はこれを「第三の空間」と呼ぶ。これは新たな主観的立場の出現を可能にする、中間にある交渉のための空間のことだ。こうした立場は、2つの文化の要素が混じり合うことから生まれ、限定的あるいは本質主義的な文化的アイデンティティの有効性と正当性に異議を唱えるものである。従って、タケシが「フィリピン人のほうが親切で幸せ」だからフィリピン人でありたいと公言し、「アドボ」を食べ、母親を連想させる宗教であるローマ・カトリックの教徒でありながら、日本のパスポートを持ち、日本語を話し、日本の学校へ通うとき、彼のアイデンティティは「ハイブリッド」になる。これは、フィリピン人でも日本人でもない、国際移住の文脈において社会的に構築された流動的なアイデンティティだ。「本物」の日本人またはフィリピン人になるのではなく、「その瞬間瞬間」で日本人になったりフィリピン人になったりする。そして、こうした瞬間は終わりがなく、いつも思いがけずやってくるので、分裂と分離が発生する。タケシとケンジにとって、共通の基準では計れないこうした「瞬間」と継続的な交渉こそが、彼らを国際結婚から生まれた子どもとして定義づけているのだ。

また、こうした類型化できない瞬間と継続的交渉から、多文化主義の見方に新たな側面が生まれる。タケシとケンジの話から、多文化主義が効果を発揮するのは、日常的な文化の接触においてだということが分かる。つまり、あつれきを弱め、あるいは解決する行動戦略を立てるために移民・移住者が活用する社会的、政治的、経済的、ないしは歴史的構造と、私的でささいな瞬間が作用し合うときだ。従って、われわれは多文化主義を「文化的に異なる人々が力を合わせて美しい音楽を共につくり上げること」と単純化することはできない。むしろ多文化主義は「第三の空間」の瞬間と、安定しない瞬間を制度的構造や政府の政策が認識し、取り組む過程であるといえる。そうなれば、タケシとケンジのアイデンティティにおけるハイフンは、もはや意味を持たなくなる。

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※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

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